2023年12月24日发(作者:男女群舞)
2011年度夏学期 木曜日3限
中国思想文化学特殊講義 レポート
儒教とは何か
担当教官 武内 房司
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儒教とは何か
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はじめに
儒教の歴史は中国の春秋戦国時代にさかのぼることができる。祖先を祭る「礼」という儀式の概念化を中心として、儒教はその教説を展開していく。それで儒教はまた礼教という。
儒教は孔子を先駆者として、「祖述尧舜,宪章文武」と、尊王攘夷と上下秩序を提唱する国家宗教である。また、儒教は十三経を宗教経典とし、古代官僚機構を宗教組織とし、皇子廟を宗教場所とし、祭天、祭祖、礼を宗教の儀式としている。儒教は中国伝統的な国家宗教であり、中国伝統文化の魂でもある。
本稿は儒教の歴史を紹介し、そしてマックスヴェーバーの『儒教と道教』を俎上に置いて討論していきたいと考えている。
一 儒教の名称
中国人は孔子が提唱する儒家学派は宗教とみなし、仏教、道教と並列して三教という。「儒教」という言葉は『史記』に現れる。「鲁人皆以儒教,而朱家用侠闻」。
孔子以後しばらく、戦国時代早期の思想家墨翟は儒教を道教と称していた。儒者はみずから正しい「道」に従っているのである。
漢末、仏教の著作『牟子理惑論』には、依然として孔子の教を「道教」と命名した。また、古代の中国人は儒教を聖教ということもある。「礼有等差,君臣不杂,爰自近代,聖教渐亏」
漢末、儒者蔡邕は儒教という言葉を正式な名詞として使っていたのである。「太尉公承夙绪,世笃儒教,以《欧阳尚书》、《京氏易》诲受四方。学者自远而至,盖逾三千。」
魏晋時代、儒教の概念が広がり、隋唐以降、古代聖人なる帝王が創立し、孔子が相互的に改良した、漢代国教とした宗教を指すようになった。
二 儒教の歴史
周の初頭、周武王を協力して商の統治を覆した周公姬旦は、「制礼作楽」をし、当時政教一体の礼儀制度を作り上げた。しかし、数百年を経て、この制度は徐々に崩壊していく。
春秋時代、孔丘が当時の混乱状況を心配し、国家に秩序と安定を回復するよう願っている。彼は博学のゆえ、多くの人から尊敬を得られて、「孔子」と尊称された。彼は諸国を遊説し、多くの弟子を育てることができたのである。その教育は詩書礼楽を中心にしたもので、親孝行を強調し、仁を人の道として説いたのである。しかし、孔子の主張は当時の権2
力者に好まれなかった。それで彼は古代聖人が作ったと思われる文化的成果を整理し、自分なりの解釈を加えることにし、この文献を後世の人々の行動のよりどころと孔子は期待している。
孔子が整理した文献は儒教の経典の基礎となった。周公姬旦と孔子の礼儀制度や宗教観念における重大なる貢献のゆえ、唐までは、二人が「周孔」と並べて尊称されて、二人はもっとも偉い聖人とされたのである。それで、儒教の主張は「周孔の道」とされる。
漢の時代は国家統治の需要により、漢の武帝から、儒教だけを重んじる“独尊儒术”の政策を実施した。儒者董仲舒は孔子の思想に基づいて、新しい歴史条件に合わせて、この伝統的な国家宗教教義を新しく解釈したのである。
努力の積み重ねにより、伝統的な宗教は完全に周公、孔子が製作した儒家学説の基礎に立つことができた。“独尊儒术”は伝統的な国家宗教を儒教化していく始まりであり、儒教の本当の始まりである。
董仲舒は儒教の教義を新しく解釈し、礼儀制度の作成を重視した。とりわけ祭天、祭祖の礼儀制度の作成を重視した。完備かつ複雑な礼儀制度は、人々が秩序を守り、おとなしくして自分の仕事をして己の分際、本分を守る生き方のことに役立っている。儒家は礼儀を重んじる目的の一つはここにある。
魏晋の時代、儒教思想家王弼は、形のある見える行為と形のない見えないものを重視すべきだと主張し、形のない見えないもののほうが大切であると考えている。
隋唐時代、礼儀制度の作成は高潮に達している。唐中期に作成された『開元礼』は後世の礼儀制度の模範となっていた。祭天、祭祖、祭孔子の方法を詳しい、法的な規定をしたのである。
唐後期の儒者は儒教の効能を反省し、仏教や道教を排斥を主張している一方、人々の内心問題を考えて、人々が礼儀を守る際の誠意を培うことを提唱した。そこで、心性問題の討議は儒者たちのもっとも理論的な方向になっていく。
宋には、程颢、程颐兄弟と朱熹の努力によって、『孟子』は特に重視され、『論語』と一緒に、「四書」と称され、儒者たちの必修の重要な著作となっていた。
三 『儒教と道教』
1904年、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を出版した後、なぜほかの文明には資本主義制度は誕生していなかったことをマックスヴェーバーが探究したいのである。とりわけ中国というヘーゲルのいう「例外の中の例外」の場合。1915年、ヴェーバーが『儒教と道教』を書きあげって、1916年の『社会科学と社会政治文献』の第41巻第5冊に発表される。その後、ヴェーバーの訂正により、『世界宗教の経済論理』の第1巻に収録され、1920年出版される。そのほか、この論文は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と一緒に、ヴェーバーの『宗教社会学論文集』に収録される。
『儒教と道教』においては、ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の3
精神』のなかの考え方に基づいて、儒教倫理と東方資本主義の発展の間にある摩擦力を研究している。ヴェーバーはまず中国伝統社会の社会結構を紹介し、それでこの社会結構における正統な文化とされる儒教文化、そして異端文化と思われる道家文化を考察している。最後に、儒家思想(ヴェーバーによると、儒教という)とプロテスタンティズムの倫理を比較し、儒教倫理は資本主義の発展を阻害していると結論をつけている。
ヴェーバーの『儒教と道教』は宗教社会学の経典とされるし、欧米の中国研究の経典ともされる。今日に至るまで、本のなかの観点や論証により多くの討論がなされる。以下は、本の内容の紹介と主な意見を述べさせていただきたいと思う。
『儒教と道教』は全部で八章からなる。本の構成からみれば、四つの部分にわけることができる。
第一部分は一章から四章までである。ヴェーバーは中国伝統社会の社会結構を分析している。例えば、貨幣経済の欠如と独立した都市、法律制度の不完備、宗族が民間のすべてを処理することや、中央集権体制など。四章までの紙面で、ヴェーバーは中国の貨幣制度と町とギルドから始まって、資本主義に不利な要素と有利な要素を討論してみたのである。ヴェーバーは、物質的に言うと、中国の社会結構は不利な要素と有利な要素の両方を内蔵しているとしている。この点では、中国における発展の基礎は西欧と大差はないという。「強いて言えば、資本主義を発展させる官僚体制の潜在的な能力においては、中国とインドの物質環境は、われわれ西洋の中古と近世よりは実に優れている」1とされる。ここで、ヴェーバーの西洋社会の経済発展に関する見解に従っていえば、貨幣制度と都市は西洋資本主義経済を孕む要素という。また、中国社会の特徴と思われる方面、例えば家産制国家、血縁関係を核心とする社会組織と法律は、後ほどの章に置くことになっている。このことから、『儒教と道教』は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と同じように、ヴェーバーが宗教文化と資本主義発展の関係について論じたものである。
第二部分は五章と六章からなる。ヴェーバーはここで儒家倫理の代表者――士を分析している。「中国の統治階層は時によって中断されたり、激しい闘争に置かれたりしながらも、不断に更新し、発展していく。過去と現在、二千年の歴史の主格は終始で士である。」2士の特徴は官職に携わって、政治に関与することである。戦国時代、士は列国を周遊し、諸侯の幕僚に努める。彼らは雑役や体罰を免除されて、ランクによる俸禄をもらう。社会倫理に関しては、士のモデルは「君子」であり、君子の徳は「仁」を表している。経済政策に関しては、西洋の自由競争の思想と異なり、士の経済思想は「礼」に従うものであり、すべての階層の人は自分の経済所得に厳密に守るべき、本分を越えることは許しないのである。
そしてヴェーバーは士を核心とする儒教を分析し、儒教は完全的な宗教ではなく、入世的であることをヴェーバーは主張している。「儒教を信仰する正当な中国人は、仏教教徒と
12 マックスヴェーバー『儒教と道教』、北京、商務印書館,一九九七,98頁。
マックスヴェーバー『儒教と道教』、北京、商務印書館,一九九七,160頁。
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違って、祭祀は自分の多福、多寿、多子を祈り、先人の安康をも祈るが、自分の来世の運命に祈らないのである…長い間、儒教は不可知な否定的な態度で彼岸の希望を処理している」とされる。確かに、儒教には、来世説や救世説はなき、超世的な運命や超験的な(経験を越えた)価値の追求はないのである。しかも自然法、思想と形式の法律的なロジックを欠如している。人々は調和のとれた社会秩序を守れば、社会は安定していると儒教は主張している。儒教は伝統を維持しているが、伝統はまさに資本主義発展の障害である。
第三部分は『儒教と道教』の第七章であり、ここでヴェーバーは異端と思われる道教を分析している。道教の神秘主義と巫術の伝統のゆえに、道教は儒教の伝統主義を変えることができないままであり、むしろ儒教に支配地位を把握させることになっている。それに、士階級は経済や生産経営に興味を持たなかったので、中国社会は西洋のように変化し、資本主義を発展させることはできないのである。
第四部分は原書の最後の章、第八章である。ヴェーバーは儒教の理性主義と(プロテスタント)と比較し、別の側面で近代資本主義が西洋にしか発展出来なかった理由を説明している。ヴェーバーが考えた儒教理性主義と新教理性主義の区別は主に次のようである。1儒教は忠と孝を重んじるのに対して、新教は博愛を重んじる。2、儒教の信念は、“士为知己者死”(われは知人のために死ねる)のに対して、新教は神様に義務を尽くすことである。3、儒教は原罪の思想があるのに対して、新教には原罪の思想はない。4、儒者は「修生養性」で人の尊敬を得るのに対して、新教教徒は自己改造をして贖罪する。5、儒者はお互いに信用しないのに対して、新教教徒はお互いに信用し、これは商業における信託活動につながる。6、儒者の言葉は華やかで美しいのに対して、新教教徒は素朴な言葉づかいを行って、コミュニケーションに役立つ。7、儒者は儒家経典で培われたもので、実学を持たないのに対して、新教教徒は聖書の法律意識と経営思想のもとで、自然科学知識を世界を把握し駆使する手段と考えている。二つの倫理の衝突のもっともひどい部分は、それぞれの核となる概念「礼法」と「使命」に現れる。儒教は人々に理性的に世界に適応するように呼び掛けているのに対して、新教は人々に理性的に世界を改造するようと教える。そのほか、新教教徒はマニアな使命感と禁欲精神を持っており、これは近代資本主義の発展に必要不可欠の文化素質となっていた。
考えてみれば、ヴェーバーは『儒教と道教』を『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の続編として書いたのである。文章の練り方から論証の手順までまったく同じである。西洋の宗教倫理と資本主義の発展の関係を理想として、中国社会は何故発達した理性的な資本主義制度を発展させなかったことを研究したのである。
まとめに
儒家文化は我々の生活に浸透しているので、経済活動を含めた様々な社会側面に影響を与え続けている。二千年の歴史のなか、士農工商という秩序で商業はしばしば軽視される立場であった。それに、資本主義制度は儒教の影響によって発展できなかったどうかはと5
もかく、ヴェーバーは宗教と近代化の研究に良い視点を提供していると言える。ヴェーバーは東アジアが遅れたとき、『儒教と道教』を著し、宗教倫理と経済発展の関係を見出そうとしたが、20世紀八十年代、東アジア経済の飛躍的な発展により、人々が儒家文化と経済との関係を探究するブームがあったのである。いずれにせよ、儒教の価値を探し出し、それがいかに現在の社会に活かされるか、考えるべき問題であろう。
参考文献
1、 マックスヴェーバー『儒教と道教』、北京、商務印書館,一九九七2、 小島 毅『東アジアの儒教と礼』、山川出版社、二○○四
3、 渡邉 義浩『儒教と中国』、講談社、二○一○
4、 串田 久治『儒教の知恵』、中央公論新社、二○○三
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